「にんじんのたね」ルース・クラウス/作 クロケット・ジョンソン/
にんじんの たねを ひとつぶ、 おとこのが つちにまきました。
という場面からこのお話ははじまる。
おかあさんがきて、「芽は出ないとおもうけど・・・」
お母さんは、おとこのこががっかりするのが可哀そうで見ていられなくて、つい言ってしまうんだろうな。
おとうさんも、「芽なんか出ないと思うよ。」 って、ちょっと気の毒そうに言ってる。
お兄ちゃんも来て、「芽なんかでっこないよ」って、ちょっとこばかにしたふうに言ってる。
それでも男の子はにんじんに水をやり、まわりの草をぬいて、せわをしている。
なんにちたっても、芽はでてこない。
家族のみんなは出てくるはずのないにんじんを一生懸命せわしているおとこのこが、きっと失望するにちがいない、がっかりするとかわいそうだと思い、水やりなんかしても無駄だと早くわからせたくて言ってるのだと思う。
で、家族みんなでおとこのこに言うのだった。
「芽なんか でっこないよ」
それでもおとこのこは水をやり、世話しつづける。
芽はでてこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
芽はでてこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・すると、・・・・ある日
芽が出てきて、
自分の背丈ほどあるにんじんをはこぶおとこのこの絵で、この絵本は終わっている。
おとこのは、どうしてにんじんが芽をだすことを信じられたんだろう?
にんじんのたねが芽を出すという力を信じることができたんだろう?
おとこのは何を守っていたんだろう?
目にはみえないけれど、自分の大切なものを一生懸命守っているこどもはいる。
自分の感性、しあわせだった過去にまつわるイメージ、自分のプライド、自己イメージ、
先に希望を見ているとき、理由のない確信をもって明るいイメージを描いているとき、
そのイメージどおりになることはよくある。
不登校の子どもたちを見守る親たちとも、この男の子の姿がだぶる。
「学校へ行かないと、ろくな大人になれないよ」
「学校へ行かないと、社会性が身に付かない」
「学校へも行けなくて、世の中に出られないよ」
いろんな周囲の声に囲まれて、
最初は混乱し、不安でいたたまれない状態におちいるけれど、ふと我にかえるときが来る。
わが子の成長を信じて、適度な水やりとせわをしつつ、ひたすら待つ。
「学校へ行ってないだけで、わが子は真っ当な子どもやん」
「ちゃんと育っているやん」
この根拠のない信頼感はどこからくるんだろ?
多くの経験者の話を聞いていると、なんとなく安心できる。
このまま信じていようと思える。
目にはみえないけれど、ふと子どもが少し大きくなった気がすることもあったりして・・。
「そんなことしてていいの?」
「もっと日に当てなければ」 「風にあてなければ、ろくなことにならないよ」
「ほかのにんじんと一緒にそだってこそ、まともなにんじん」
忠告や懸念の声を聞くこともある。
それでも、いつかきっと芽を出すことをイメージして、せわをつづけている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして・・・・・・・・・・・・・時が満ちて、
子ども(にんじん)はみずから芽を出し、
成長し、
大きく自分を実らせる。