7・・・真の学びのために

  前回、公教育以外の教育が認められれば数の上では「不登校」はなくなると言いましたが、実際に今の日本の現況で学校へ行けなくなったときはどうしようもなく悩み、落ち込んだり、荒れたり、親子で葛藤したりします。


 1992年に旧文部省の「学校不適応対策調査研究協力者会議」で不登校への対応の基本的視点のひとつとして「学校生活上の問題が起因して、登校拒否になってしまう場合がしばしばみられる」と報告されていますが、それから16年経った今でも、未だに家庭や親子関係、子どもの性格といったところに原因をみる論調がマスコミの主流になっています。

 たとえば、一時微減していた不登校の数が、(少子化にもかかわらず)また上昇している原因として、「いやがるのなら無理に行かせなくてもいいと考える親が増えたため」という記事がありました。その2年前にいじめ自殺があいつぎ、学校でのいじめが問題になっていた時期、「いじめられるくらいなら行かなくてもいいという親が増えた」とも報じられたことを思いだします。
 これら文科省の見解には、日々不登校に悩む相談に接していて、現状との大きなギャップを感じます。正しくは「(心身がこわれるほど)いやがるのなら無理に行かせなくてもいい」「(自殺するまで)いじめられるくらいなら行かなくてもいい」とまで思えないと、なかなか学校を行けなくなることを認められないのが大多数の親なのです。また、子ども本人も、自分の頑張りが足りないから行けなくなった、とか本当は行かないといけないのにどうして自分だけ行けないのだろうと、自分を情けなく思って非常に苦しんでいます、行けるならどんなにか楽だろうと思うくらいつらいのです。

 セーラー服の襟の前がぐっしょり濡れるまで泣き続けていた女子中学生、かちかちに体をこわばらせて玄関に立ち尽くしていた子ども、朝這うようにしてベッドから出てきた子、目に見えない壁があるように動けなくなってしまった小学2年生。腹痛、頭痛、吐き気、などいろんな身体症状を出して体が訴えています。
身体症状を出しても家で休めないと、荒れたり暴れたり暴力が出てきたりします。

家の居心地がいいから学校へ行かなくなるという人もいますが、学校へも家にも居られなくなると、元気のいい子どもは外泊をするようになりますが、大抵は自分の部屋から出なくなり閉じこもるようになります。
ある小学3年生の子どもは、お母さんが一生懸命付き添って学校へ行っていましたが、ある日路上で完全に動けなくなってしまって言ったそうです。「ぼく、学校へ行けない。家へも帰れない。ぼくはどこへ行ったらいいんだろう」
この言葉は、年齢の大きい小さいに関係なく、学校へ行けなくなった子どもが抱く思いを代弁していると思います。

一時学校環境から避難して休めないと動けないほど傷つき疲労してしまっているのに、それでも休めないとなると、人が(親も)信じられなくなり自分しか頼るものがなくなります。不登校から長期のひきこもりにいたる例には、学校へいけなくなって以来、親や担任など周囲の理解や支援がなく、ずっと責められ続けてきた人が多いのです。


これだけ学校に行けないことで苦しむのは、公教育以外の教育が認められていないので、日本人の横並び意識の強さを反映していて、「不登校」が恥ずかしいこととか、あってはならないことという意識が強いということと、高校進学に支障をきたすからではないかと思います。高校進学率は約98パーセントでほとんど義務教育の態様であり、高校卒の資格がなければ就職先が極端に狭まるばかりか、アルバイトも高校在籍でないと採用されにくい現況があります。

加えて、ずっと以前からその弊害が指摘されていて、そのために高校以下の教育がずべて受験が目的になってしまったのだけれど、大学入試制度の問題があります。

つづく